烏城(岡山城)

 慶長2年(1597年)豊臣政権の

五大老の一人の宇喜多秀家が築いた

三層六階の天守は不当辺五角形をなしています。

 

    

 

ここの城を建てた宇喜多秀家は、関ケ原の合戦後

改易になり、八丈島流罪になり、

二度と岡山に戻ることはありませんでした。

   

府内城~豊後の国

 大分市にある府内城は、大友宗麟

造った城ではありません。

 

府内城は、安土桃山時代後期に、福原直高が築城をはじめ

竹中重利が完成させた城で、四重の天守があったとされます。

 

     

天守は江戸時代に焼失し、大手門は昭和20年の

空襲で焼失して、その後に、外観復元されましたが

門と櫓で、天守はありません。

 

七卿落ち遺跡「鞆の浦」太田家住宅

 潮待ちの港で知られる鞆の浦は、広島県東部の

瀬戸内海沿いにありました。

 

   

 

鞆の浦の港から続く路地には、

保命酒の造り酒屋の中村家がありました。

 

ここは、京の政変で都落ちした七卿が、

しばらく滞在しました。

 

その中村家を受け継いだのが太田家です

 

白壁土蔵の街並み~飛騨古川

 瀬戸川沿いに、白壁土蔵の街並みが続く飛騨古川は

古い城下町で、造り酒屋や和蝋燭屋などの

お店が並んでいました.

 

         

 

瀬戸川には、色とりどりの鯉が泳いでいました。

この瀬戸川は、冬場は雪の捨て場の流雪溝になるため

鯉は城跡の池にその間、お引越します。

大森~石見銀山鉱山町

 石見の国の石見銀山は、最盛期日本最大の銀山で世界の

銀産出量の三分の一を占めていました。

 

そんな石見銀山は石見の国

今の島根県にありました。

 

    

 

当時の鉱山の労働は過酷で、酸欠に粉塵などで

三十歳まで生き延びた鉱夫は、長寿のお祝いをしたそうです。

長崎三福寺 興福禅寺

長崎の寺町の片側が石垣の路地を歩いて行くと
赤い山門が印象的な興福禅寺がありました。
 
ここは長崎三福寺の一つに数えられる
この寺は東明山興福禅寺という
黄檗宗唐寺で、隠元和尚ゆかりの寺です。
 
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寛永元年に創設されたお寺です。
黄檗宗の最古のお寺です。