2024-04-25 烏城(岡山城) 慶長2年(1597年)豊臣政権の 五大老の一人の宇喜多秀家が築いた 三層六階の天守は不当辺五角形をなしています。 ここの城を建てた宇喜多秀家は、関ケ原の合戦後 改易になり、八丈島に流罪になり、 二度と岡山に戻ることはありませんでした。
2024-04-24 新町通り~近江八幡 JR近江八幡駅の北2キロにある新町通りは、 江戸末から明治大正にかけて建てられた 大店の八幡商人の本宅が立ち並ぶ所でした。 近江八幡商人は、本拠をここに置き、商才を頼りに 他国に進出して、江戸日本橋に店を構えました。
2024-04-23 府内城~豊後の国 大分市にある府内城は、大友宗麟が 造った城ではありません。 府内城は、安土桃山時代後期に、福原直高が築城をはじめ 竹中重利が完成させた城で、四重の天守があったとされます。 天守は江戸時代に焼失し、大手門は昭和20年の 空襲で焼失して、その後に、外観復元されましたが 門と櫓で、天守はありません。
2024-04-22 七卿落ち遺跡「鞆の浦」太田家住宅 潮待ちの港で知られる鞆の浦は、広島県東部の 瀬戸内海沿いにありました。 鞆の浦の港から続く路地には、 保命酒の造り酒屋の中村家がありました。 ここは、京の政変で都落ちした七卿が、 しばらく滞在しました。 その中村家を受け継いだのが太田家です
2024-04-21 白壁土蔵の街並み~飛騨古川 瀬戸川沿いに、白壁土蔵の街並みが続く飛騨古川は 古い城下町で、造り酒屋や和蝋燭屋などの お店が並んでいました. 瀬戸川には、色とりどりの鯉が泳いでいました。 この瀬戸川は、冬場は雪の捨て場の流雪溝になるため 鯉は城跡の池にその間、お引越します。
2024-04-20 大森~石見銀山鉱山町 石見の国の石見銀山は、最盛期日本最大の銀山で世界の 銀産出量の三分の一を占めていました。 そんな石見銀山は石見の国 今の島根県にありました。 当時の鉱山の労働は過酷で、酸欠に粉塵などで 三十歳まで生き延びた鉱夫は、長寿のお祝いをしたそうです。
2024-04-19 長崎三福寺 興福禅寺 長崎の寺町の片側が石垣の路地を歩いて行くと 赤い山門が印象的な興福禅寺がありました。 ここは長崎三福寺の一つに数えられる この寺は東明山興福禅寺という 黄檗宗の唐寺で、隠元和尚ゆかりの寺です。 寛永元年に創設されたお寺です。 黄檗宗の最古のお寺です。